匂いのいい花束。ANNEXE。

茶の湯の心。

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珍しくブログの記事のために写真を撮ってみました。
僕がコレクションしている器類の中からこれまた珍しく抹茶茶碗を二客。
僕、古伊万里などの磁器は集めていますが、土物はあまり興味がないのです。

奥の茶碗は、今は袂を分かってしまいましたが、かつての友人が僕に譲ってくれたもの。
友人宅でお茶を戴いた時に茶碗を褒めたら気前良くくれたものです。
一般に「呼び継ぎ」と言われる技法で大きく欠けた部分を修復してあります。
「呼び継ぎ」とは欠けた部分を本来の破片じゃないもので継ぐことを言います。
この場合は、土物の器の欠けの部分を磁器の破片で継いだもの。
茶碗の厚みやアール(円弧)がピッタリで非常に良く出来ています。

それから手前の茶碗はチョッと前にオークションで落とした茶碗。
こちらも珍しく「かすがい継ぎ」と呼ばれる高度な技術で修復されています。
ただ単に漏れないように直してあるだけでなく、
その技術、繊細な美しさにおいて一級品だと思います。
この器、無傷の完品だったら全く興味を持たなかったかもしれません。
本来、傷はそのものの価値を下げるものですが、
傷が価値を高める事もある珍しいケースだと思います。

映画が好きな人なら覚えていらっしゃるかもしれませんが、
チャン・ツィイーのデビュー作「初恋のきた道」の中で、
水餃子を入れた器を転んで割ってしまい、行商の職人が、
かすがい継ぎをして直すシーンがありましたね。少女が焦がれた人の想い出の器……。
映画の中でももっとも印象深いシーンだったように記憶してます。

「利休七則」の ” 花は野にあるように……。" に則って、
近所で拾って来た芙蓉の落ちた花を彩りに撮影です。

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友人達は僕のことを多趣味だと言います……まぁ、確かに(笑)
でも、何れも一つ一つはそんなに深くはありませんし、極めたものもありません。
身体を動かすこと……スポーツ系の趣味は全くありませんが、
三味線、香道、絵画、読書、写真、音楽鑑賞、映画鑑賞、観劇……。
所謂、文科系?それからコレクションする事にかけては筋金入りだと思っています。
そんな僕がこの年になって心残りに思っている事が一つだけあります。
それは茶道と全くいい縁がもてなかったこと。
親友の中には稽古に励み、季節季節の茶事を楽しんでいる人もいます。
日本人の精神文化の基本とも言える茶道……興味は津々です。
僕が茶道に縁がなかった理由……と、言うか、
今日は、チョッと批判的になった理由を書いてみようと思います。


茶の湯の心って一体、何でしょう。
一般的な答え、要約してみれば「人を持て成す心」ですよね?

初めに写真の説明をしましたが、奥の茶碗をくれた友人。
随分と前に止めてしまいましたが、彼はバーを経営していました。
そのカウンターで1人グラスを傾けている時に小耳に挟んだ会話の断片……。

 「宗匠に頼んで箱書きをして貰ったんですよ。◯◯万円お包みしました。」

 「このお軸は◯◯円で買ったんですよ……おほほほほほほ。」
 
 「この茶碗はお高かったのでねぇ……君の給料の2ヶ月分くらいかなぁ。」 

なぁ〜ンだ、何事も金かい……そう思っちゃいました。
持て成しの心どころか、先ずは形や見栄ばかり?
日本の伝統文化は形を重んずるところが往々にしてあります。
先ずは形から入る。その形を何遍も稽古に稽古を重ね自分のものにして行く。
その「形」も決して訳なくあるものではありません。
そうでなければならない理由があっての「形」なのです。
季節、季節の草花、茶碗や掛け軸、出席するにあたっての着物もそう。
決まり事や形は大事です。それなくしては成り立たない部分もあります。
だけど、本質を忘れてその形の上澄みだけを珍重するようになっていやしない?

箱書きして貰うことにより、一見、価値のなかったものが、
物凄い価値を持つようになる(そう見える)
今の世の中、全般に言えることなんですが、
名もなきものは優れていないか?……さにあらず。
名を成したもので下らないもの、価値の無いものは沢山あります。
反対に、名もなき素晴しいもの……それは見る人の目……次第ですね。
まだ名は成していないけれど、そのものの持つ光輝くダイヤモンドの原石の価値。
それを見抜く目、世評に左右されずに本物を見抜く目が必要になります。
美に対する自らの確固たる信念……是非、持ちたいものです。

僕はね、会話を聞いていてその辺の諸々が凄く下らなく思えたんです。
精神よりも既に形骸化した「茶の湯の心」が可笑しくて仕方なかった。
権威主義?上のものにオベッカ使って取り立てて貰って……。
断っておきますが、茶道にいそしむ方、全てではありませんからね。
ごくごく一部の「茶の湯の心」を見失った連中のエピソードです。

それから、これは実際に体験したことなんですが、
僕が習っていた香道の教室。毎回、とてもいい感じで稽古をしていましたが、
年に1回、香道と茶道の普及とお披露目を兼ねて会が催されていたんです。
チケットは香席とお茶席がセットになって1枚5000円でした。
チケットを買った人は漏れなく香席とお茶席に出ることが出来る……そんな気軽な催し。
勿論、正式のものではなかったけれど、そこはご愛嬌、
香道と茶道を広く一般に知って貰って、その人口を増やすのが目的です。
参加者は未知の世界に少しの気後れと不安を胸に抱いて会場に来ていた訳です。
だって、皆、初めての体験です。日本人だって知らない伝統は沢山あるんですから。

僕は香道の方の会の雑事がありますね。準備からお客さまのご案内まで。
そうは言っても友人知人も沢山、呼ぶ訳です。皆に広く知って貰い楽しんで貰いたいから。
香席が終わり、時間を作ってお茶席に友人達を連れて行った時のこと……。
既に前の回のお茶席が始まっていて、茶室の周りには誰もいませんでした。
係とおぼしき男性を見付け、次の回に4人で参加したい旨を伝えようと思ったのですが、
その、係の男性の見下すような態度、視線、小馬鹿にしたような様子に、
二の句がつげませんでした。勿論、大変に混雑しているのは知っていました。
香席もアッと言う間に一日の定員が一杯になってしまっていたくらいですから。

その係の人の態度は茶道の「客を持て成す心」から大きく外れてはいませんか?
「茶の湯の心」の精神から大きく逸脱していませんか?
仮に、既に一日の定員が一杯でも、他にもう少し接しようがあったハズ。
こちらは失礼のないように精一杯、襟を正し、着飾って来ているのですから。
敷居が高く慣れない茶道を経験したい……純粋な好奇心を踏みにじられました。
続けて出て来た、その係の目上の人も物凄く感じ悪かった……。
まるで下々の者を見るかのような上から目線で全く取り合ってくれません。
僕等は正規の代金を払ってお茶席に出席する権利があるのです。
言わば、お客さまなのですよ……少なくともそのお客さまに対する態度ではなかった。


呼び継ぎの茶碗をくれた友人の面白いエピソードがあります。
僕と同じく骨董大好きの彼は、足繁く懇意の骨董店(茶道具の)に日参し、
一目惚れした茶碗を清水の舞台から飛び降りる覚悟で購入しました。
分割の支払いはキツいけれど、心は羽根が生えて今にも飛び立たんばかり(笑)
後生大事に家に茶碗を持ち帰り、腫れ物にでも触るように包みから取り出し、
そうだ、汚れを落とさなきゃ……と、ばかりに中性洗剤で洗ったところ……。

な、な、な、何と!その茶碗を美しく彩っていた古色が綺麗サッパリ落ち、
まるでその辺のスーパーで買って来たような新品の茶碗になってしまったそう(笑)
結局、返品どころか返金にも応じて貰えず泣き寝入りだったとか……。
古色と汚れは紙一重?聞いていた仲間は大笑いだったけど本人は悲しいですよね。
そんなこんな、僕の茶道に関する印象は物凄く芳しくないのです。
もしかして、きっと素晴らしい出逢いで茶道を楽しむ事が出来ていたならば、
人として尊敬の出来る師匠と出会う事が出来たのなら……。
人生において掛け替えのない経験をし、精神的な成長をしていたかもしれませんが、
こればかりは仕方ありませんね。出逢いがなかったのですから。

ここに書いた僕が経験した茶道の世界に限らず、
今の世の中、人のことを思いやる気持ちが大きく欠如していますね。
自分さえ良ければそれでOK。先ず、自分。I love me !
自分の子供を差し置いても自分……残念かなそんな風潮が蔓延しています。
簡単なことだと思うんです。自分がされてイヤなことは人さまにしない……です。


この茶碗も何れはお茶を楽しんでいる親友に譲ってしまう積もりです。
大酒飲みの彼女……これで茶碗酒など飲まないことを願います(笑)


草々

2011年10月10日


ブノワ。


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by raindropsonroses | 2011-10-10 00:00 | 向き向きの花束。