サド侯爵夫人。
「いたるところで陰口を囁かれ、悪魔の化身のように言われて来た私。
公爵のように鞭やボンボンは使わないけれど、
恋の島の雑草はのこらず刈りつくした私ですものね……。」
三島由紀夫原作「サド侯爵夫人」第1幕より抜粋。
傑作戯曲の第1幕で、サン・フォン伯爵夫人が元の使用人シャルロットに言います。
三島によって、肉欲、悪徳を一身に体現する役を担ったサン・フォン夫人。
今回は麻実れいが見事に演じきりました。まさに悪の化身、素晴らしかったです。
楽しみにしていました。観て来ました。野村萬斎演出の「サド侯爵夫人」
戯曲の魅力でしょうか、それとも出演者の魅力?声を掛けたらアッと言う間に18人……。
2日に分けて観て来ました。僕の一番好きな三島由紀夫の戯曲です。
サド侯爵が登場せずに6人の女にそれぞれサドを語らせる……。
6人の登場人物はそれぞれにサドを映す鏡にならなければいけません。
今まで幾度となく観て来ましたが、今回は強烈でした……(笑)
いいい意味でも悪い意味でも強烈、俳優を各々歩み寄らせて……と、言うよりは、
各々の俳優に自由にやらせて遠くでその化学変化を楽しむ感じ。
演出に関しては思う所は沢山あります。この傑作戯曲は何もしない方がいいのですから。
冒頭と2幕目最初のシャルロットがシャンデリアを吊り上げるシーンや、
幕が開く前の馬車の音、馬のいななきは全く必要なかったのでは?そうも思います。
シンプルなセットと衣装で役者の持つ力を最大限に観るのがこの戯曲だと思うから。
あくまでも三島由紀夫が巻末の「跋」に書いているように、
「舞台の末梢的技巧は一切これを排し、セリフだけが舞台を支配し、
イデエの衝突だけが劇を形づくり、情念はあくまで理性の着物を着て歩き廻らねばならぬ。
目の楽しみは、美しいロココ風の衣裳が引受けてくれるであろう。
すべては、サド夫人をめぐる一つの精密な数学的体系でなければならぬ。」
なのです。
膨大な台詞量、モントルイユ夫人が娘のルネを揶揄するように「迂遠なものの例え」、
宝石やラインストーンを散りばめたキラ星のような台詞の数々。
衣装やヘアメイクはそれを助けなければいけません。
控えて控えて、役者をもり立てる陰の黒子に徹しなければならない……そう思います。
さて、今回の衣装はどうだったでしょう……僕にはチョッと疑問。
色なんかなくてもいいとさえ思います。生なりの綿で作った、
それぞれの性格を現すシンプルなものでもいいとも思います。
トレンチコートを着たハムレットが人々を驚かせたのは随分前のこと。
現代翻案や解釈によって様々な「サド侯爵夫人」が上演されているけれど、
なかなか作者の意図通りの演出にはならないようです。
今回、際立ったのは、賛否両論あるでしょうが、白石加代子のモントルイル夫人や、
麻実れいのサン・フォン伯爵夫人が、実は三島によって色付けられたそれぞれの「性格」
例えば、モントルイユ夫人には法と社会、道徳、サン・フォンには悪徳と肉欲……。
これらが実はそれぞれの人格の上に被せられた薄皮1枚だと言うことが明確に表現されました。
モントルイユ夫人は法と道徳を嵩に着ながら、実は他の登場人物よりも世間体と人の目を意識した俗人で、
サン・フォン伯爵夫人は自称、悪徳の限りをつくし、「恋の島の雑草は刈り尽くした」、
稀代の悪女のハズなんですが、その実、登場人物中、最も己に素直で、
もしかしたら情に篤い人物なのかもしれない……それを表せた時点で役者の勝ちになったようです。
役のボリューム、台詞の量の違いもありますが、白石加代子、麻実れい、
シミアーヌ伯爵夫人を達者に演じた神野三鈴に軍配……。
ルネの蒼井 優は非常に才能に恵まれた女優だけれど、最終幕はもう少し「老け」が必要。
この上なく美しいラストシーンの笑顔(照明も抜群でした)なのだけれど、
最後まで少女っぽさが残るのが少し残念でした。
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さて、2回目の観劇の幕間に素晴らしいニュースが僕の元に届きました。
まさにタイムリーなそのニュースとは………………。
草々
2012年5月25日
ブノワ。
追伸 皆さん、ゴメンなさいね。ガーデニングショウ中は、
新しい薔薇のお披露目を楽しみに会場に足を運んで下さるお友達も多いので、
薔薇の名前等、関連する単語を拒否設定にしていました。
解除しましたので、どうぞ思う存分、連呼して下さい(笑)
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