匂いのいい花束。ANNEXE。

伝説は続けられなければなりません……山口百恵。 その2

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さて、山口百恵が不滅の伝説になっている訳は何でしょう。

先ず、「歌手・山口百恵」として考えた時、転機になったのは3度。
1、最初は「ひと夏の経験」の大ヒットでした。15才の少女に
  キワドい歌詞を唄わせる事で売り出そうとするレコード会社、
  それを淡々と唄う少女。一部の有識者の間で非難される物の、
  これがまんまと功を奏し、山口百恵は一躍有名になりました。
2、二番目の転機は、「横須賀ストーリー」の時に自ら指名して
  作曲家 宇崎竜童と作詞家 阿木燿子の夫妻を起用した事です。
  この辺りから、山口百恵はセルフ・プロデュースして行く訳ですが、
  俄然、楽曲にパンチと厚みが増して来て、
  僕が思う所の「アルバム歌手・山口百恵」が誕生します。
  ハッキリ言うと、それまでのLPレコードは退屈そのもの。
  毎年、季節事に出るシングル曲に箸にも棒にも掛からない曲を足して
  年間に3〜4枚のLPを出していましたが、宇崎&阿木コンビとの共同作業は
  革新的に山口百恵の歌の世界を変えてしまいました。
  宇崎竜童の演歌っぽい節とロック色の強い斬新なメロディー、
  阿木燿子の非常に劇的で濃密な歌謡曲らしくない歌詩。
  たった3分の中に凝縮されたドラマチックな世界。同じ年頃の少女よりも
  チョッとだけ背伸びした3分間の大人の女の情念の世界のドラマ。
  当時、平行して出演していた映画での経験、台詞を喋ると言う行為が
  歌を唄う上でも何らかの相乗効果があったのでしょうか。
  ファルセットを使えるようになり、コブシをきかせた歌唱法をマスターし
  一段と表現力と歌唱力を増して行ったようです。
3、三番目の転機は、それまでの宇崎&阿木コンビに加えて、
  さだまさしと谷村新司と言うニューミュージック界の作曲家を起用した事。
  なぜ、松任谷由実や中島みゆきではなくさだまさしと谷村新司なのか?
  中島みゆきは、他の歌手から曲作りを頼まれると、
  自分用に作曲したストックの曲から選んで差し出すと言われています。
  あくまでも自分に合わせた楽曲が欲しかったのでしょうか。
  全く歌謡曲の垢がついていない作曲家を起用する所が山口百恵の凄い所で、
  さだまさしとは「秋桜」、谷村新司とは「いい日旅立ち」と言う
  歌謡曲史の中で言っても白眉の名曲が生まれています。
  谷村新司は、アルバムにも沢山の素晴しい曲を提供していますね。
  一見して強い女性と言うイメージですが、堀内孝雄の「愛染橋」の中の
  「うちは愚かな女やからね……」や宇崎&阿木コンビの「愛の嵐」のように、
  「心の貧しい女だわ、ああアタシ」のように、自らを卑下する事で
  山口百恵と言う虚像に、弱い女の不幸の匂いを纏わせたしたたかさ。

アルバムの歴史の中のピークは、宇崎&阿木コンビが加わった
「横須賀ストーリー (1976)」から「春告鳥 (1979)」まで、
結婚宣言するまでの11枚でしょうか。中でも最高傑作は、
NHKの特別番組「山口百恵 激写/篠山紀信」のために作られた
「A Face in a Vision」と「二十才の記念碑 曼珠沙華」の2枚。
まるで、映画か小説の世界を濃縮したかのような物凄いクォリティー、
曲の数だけのヒロインが生き生きと描かれている事に圧倒されます。
僕が「アルバム歌手・山口百恵」と呼ぶ所以はこの辺にあります。

映画の世界ではどうだったのでしょう。
川端康成原作の「伊豆の踊子」から既に頭角をあらわしていましたね。
以後の文芸路線、本人希望による現代物に至るまで、
必ず10億円前後の興行収入を叩き出すヒット作となり
殆どを共演した三浦友和とともに「ゴールデン・コンビ」と呼ばれました。
惜しむらくは、演技開眼の「古都」が引退記念作品になった事。
この中で、山口百恵は、生き別れになった千重子と苗子の双子役を好演。
未来の大女優の片鱗をかいま見せてくれただけに残念でなりません。
市川崑監督は、山口百恵主演で吉川英治の「牢獄の花嫁」を撮りたかったそう。
日本映画の衰退を予見させるかのように引退して行った山口百恵……。
テレビの「赤いシリーズ」で日本中のお茶の間、特に主婦層をファンにしました。
これは、戸籍上、私生児だったと言う生い立ちとテレビの中の虚像と実生活を
ファンが勝手にオーバーラップさせた結果でしょう。

もう一つ、忘れてならないのはヴィジュアル面です。
一連の篠山紀信が撮影した写真は、デビュー以来もっとも山口百恵の魅力を理解し、
一人の生身の少女として、綺麗ごとだけではなく、一人の女の影の部分まで
ファインダーの中に切り取った篠山紀信の功績は大きいです。

引退したら絶対に戻らない…………………………。
普通の生活に戻りたくて泣き泣き引退して、前言を簡単に翻す人が多い芸能界で
一貫して自分の道を貫く潔さ。たった一回、引退後に名前が出たのは
親友のアン・ルイスが「百恵ちゃん、ヒットが欲しいからあなたの名前を貸して」
と、正直に申し出た時に作曲家として一回だけ。作品は「ラ・セゾン」。
アルバムでは「銀色のジプシー」「Dancing in the Rain」などで定評があった
山口百恵の作詞力。ペンネームは、出身の街の名前をとって「横須賀 恵」……。
親友のたっての頼みで名前を貸す。自分の主義を曲げる……。
これも山口百恵らしいエピソードですね。

写真は、去年の秋、伊豆の「河津バガテル」で撮影した「伊豆の踊り子」です。
「河津バガテル」の公園花に指定されています。
匂いも良く、秋の薔薇が寂しい最中、たわわに花を付けていました。

「Legend must go on……伝説は続けられなければなりません」

これは、ビリー・ワイルダー監督の「悲愁」の幕切れ近くの台詞。
まさに、歌謡大賞も日本レコード大賞も獲らなかった無冠の女王、
引退後、決して姿を見せない山口百恵に相応しい言葉だと思いませんか?
今から26年前の大晦日、地元の東宝直営の映画館の最終回、
人もまばらな劇場で一人、引退記念映画「古都」を鑑賞し、
僕が山口百恵と共に歩んだ青春時代は終わりを告げたのでした。


敬具

2006年1月18日


ブノワ。


[山口百恵/Momoe Yamaguchi (1959~ )]
 [ひと夏の経験 (1974)]
 [横須賀ストーリー (1976)]
 [愛の嵐 (1979)]
 [愛染橋 (1979)]
 [アルバム 横須賀ストーリー (1976 )]
 [アルバム 春告鳥 (1979)]
 [アルバム A Face in a Vision (1979)]
 [アルバム 二十才の記念碑 曼珠沙華 (1978)] 
 [NHK特集 山口百恵 激写/篠山紀信 (1979)]

[三浦友和/Tomokazu Miura (1958~ )]
[宇崎竜童/Ryuudou Uzaki (1946~ )]
[阿木燿子/Yoko Aki (1945~ )]
[さだまさし/Masashi Sada (1952~ )]
[谷村新司/Shinji Tanimura (1948~ )]
[松任谷由実/Yumi Matsutouya (1954~ )]
[中島みゆき/Miyuki Nakajima (1952~ )]
[川端康成/Yasunari Kawabata (1899~1972)]
[伊豆の踊子 (1926)]
[伊豆の踊子 (1974) 東宝製作 山口百恵 第一回主演作品]
[古都 (1961)]
[古都 (1980) 東宝製作 山口百恵 引退記念作品]
[市川崑/Kon Ichikawa (1915~ )]
[吉川英治/Eiji Yoshikawa (1892~1962)]
[牢獄の花嫁 (1931)]
[アン・ルイス/Ann Lewis (1957~ )]
[篠山紀信/Kishin Shinoyama (1940~ )]
[Billy Wilder (1906~2002)]
[Fedora/悲愁 (1978)]
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by raindropsonroses | 2006-01-18 16:37 | 女優の時代。