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匂いのいい花束。ANNEXE。

母の肖像。

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あれは僕が何歳くらいのことだっただろうか……。

幼稚園の間だけ父親の仕事の都合で神奈川県の中部、E市に住んでいた頃のことだ。
深夜に急に高熱を出して倒れた僕を、母が背中に背負って病院から病院へ、
何軒も走っている間の砂利道のホコリっぽい匂いと、母の背中の揺れを今でも覚えている……。

僕の一番、古い母の想い出……鮮明で、記憶と言うより身体で覚えている母の面影。

 「大丈夫だからね、しっかりしなさい」  今でも母の声が聞こえるようです……。

母は6人兄弟の一番末っ子として長野県に生まれました。
家の都合で幼くして学業もそこそこに隣町の工場で働き始めた母。
引っ越しの朝、動き出す汽車からは通学する友達たちの姿が……思わず扉に身を隠す母……。
思い出したかのように語る母の悲しそうな顔が思い出されます。
以後、数回の転職、定年になるまでは病院に勤務し、
20年間、一度も欠勤したことがないことが母の誇りでした。
人一倍負けん気が強く、曲がった事が大嫌いな母、
料理の腕はどちらかと言うとヘタクソでしたが、餃子を作らせたら天下一品でした。
もっとも、最近は僕の方が美味しい餃子を作るようになったけれど、
元来、負けん気が強い母は「お母さんの餃子の方が絶対に美味しい」と、
僕の餃子を絶対に食べようとしなかった……母らしいエピソード(笑)

母からは特別、ああしろ、こうしろと物事を教わった事はありません。
全ては我身を以て僕に教えてくれた母、曲がった事はするな、人さまにズルいことはするな、
挨拶は丁寧に、何事にも感謝の気持ちを忘れないこと……等々。
言葉ではなく、先ず、自分が実践して子供に見せる……。
元来、教育とはそう言うものではないか……親が身を以て子に教える……。
子供は親を見て育つ……僕はそう思います。


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その母が生きていたら今日で75歳の誕生日を迎えていた事になります。
2年前の7月5日に急逝、僕が生まれた数年後に流産をした時に
輸血から貰った肝炎のウイルスが原因でした。40年も経っているのに今更?
病院に勤めていたのになぜ放って置いたのか?今になると色々と思う事もあります。
2度ほど手術をしましたが、病院勤めで色々な患者さんの苦しみを知っている母は頑なに入院を拒否、
それでも、最期はどうにも辛くて自分で病院に電話し入院した翌日に亡くなりました。
人に迷惑をかけない母らしい最期、あれよあれよと言う間に旅立った母。
本人の希望で親類縁者には知らせずにいましたが、
冷たくなった母の病室には「生前お世話になりました」と、若い看護婦さんたちの行列。
患者さんに愛され、病院長から同僚まで、仕事仲間に信頼され慕われた母。
何よりも母の人柄を語るエピソード、誇らしい気持ちで一杯でした。
20年間働いた病院から冷たくなって出て行く母、夏の宵のチョッと物悲しい想い出です……。

この写真は今から何年前のものでしょうか……。
聞くところによると、僕が生まれる前、薔薇も終わりかけの初夏の頃に横浜港で撮った1枚とか。
モノクロ写真は今ではスッカリ色褪せてセピア色になっています。
スーツの襟の形、手に持ったハンカチと日傘、精一杯のお洒落、
化粧は当時流行っていたハリウッドの女優を真似て(本人弁)……。
笑うのは、この1枚が父が撮ったものではなく、他のボーイフレンドが撮ったものだと言うこと。
あっけらかんと僕に言う母、そんな進んだところもある母でした……。
晩年はスッカリ写真嫌いになった母なのに、
カメラに向かってこんなポーズをとるなんて!母の珍しい一面を見るようです。

改めて、五体満足に、そして、健康な身体に生んでくれた母に
心から感謝の気持ちを捧げたいと思いいます。

以前に「男の価値って?」と言う記事を書いた時に、
僕にとっての女の価値、理想の女性とは?そう言う問いかけが沢山ありました。

僕は思うのですが、多かれ少なかれ、男女の差なく、
全ての人間が心に思い描く理想の女性像は母親なのではないか……と。
古い言葉に「滅私奉公」と言うのがあります。
これを親子関係に当て嵌めてみると、自分を犠牲にしてまで子供を守る、
何の逡巡もなく、第一に子供の幸せを願う……先ず自分が盾になる……それが自然に出来たあの頃。
今は母親に限らず父親も、そう言う血の濃さが希薄になって来ているように思えてなりません。
先ずは自分が第一。己の快楽、享楽にためには子供なんて二の次、三の次……。

母が遊び人の父と半ば駆け落ちのようにして東京に出て来る時、
スグ上のお兄さんが「何かあったらこれを売って帰って来い」と、作ってくれた
松竹梅が刻まれたプラチナの指輪、それは遺品として僕の小指に嵌っています。
まだ心の整理はついていません。友人は大いに呆れていましたが、
母が亡くなった前後も一日も休まずにブログを書き、葬儀の翌々日には友人と会食……。
勿論、悲しかったけれど、普通にしている事で気も紛れるし、
何より自分らしいと思いました。人に気遣われるのがイヤなんですよ……天の邪鬼なんです。

今でも電話をすれば母が出るような錯覚を覚えます。
生前は何も親孝行らしい事をしてあげられませんでした。
この先の僕を見守っていて欲しい、いつかきっと、母に自慢出来るようなことが出来るのではないか……。
そう信じていると、何やら力が湧いて来るような気がします。


ブノワ。


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by raindropsonroses | 2008-01-29 00:00 | いつも心に太陽を。