匂いのいい花束。ANNEXE。

あっちでお食べ!

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 「あっちでお食べ……。」

Zは近くに落ちていた薔薇の枝で器用に小さな芋虫をすくって
一声掛けながら垣根越しに隣の家に投げ入れた。
他にはいないかと用心深く辺りを見回す。
折角、手入れしてきた自慢のイングリッシュ・ガーデンを食い荒らされては堪らない、
美しく保つためにあらゆる犠牲を払っているのだから……。

Zは新宿でバーを経営している。
有り難いことにオープンして20年になるのに
客足が衰えるどころか徐々に右肩上がりの訳は、Zが常に自分自身に気を遣い、
オープンした頃の若さと体型を維持しているかに他ならない。
それから客と深い関係にならないこと。交友も相談事も程々に……それがZの主義。
マスターと客は一対一ではなくて、一対何千なのだから。
あの街に限らず、客の心なんて浮気なものだ。
新しい店が出来るとスグにそちらに流れる。
少しでも気に入らないことがあるとパタッと来なくなる。
Zは身に染みてそのことを知っている。
今までにどれだけの仲間が店を畳んで来たかしれない。
初めの頃こそ随分と客入りを気にしたものだが、
最近では全く気にならなくなって来た。何故なら精神的に鍛えられたことと、
自分に対する自信があるから。性格も穏やかだしスタイルもいい。
何よりも気に入っているのは父親に似た容姿、そう、若い頃の三國連太郎にソックリなのだ。
鬢に白いものが混じりだしたけれど、決して染めたりしない。
若造りはやり過ぎると危険だし、クセになり段々エスカレートして見苦しいから。
店の照明の下では誤魔化せても、日の光に晒されては一溜まりもない。
何より自然体が一番だと思う。客の殆ど90パーセント以上の人が、
男女の差なく自分目当てなのは重々承知の上での決め事である。

日々の努力から来る自信の他にもう一つ、
毎日の雑念を忘れさせてくれるものがガーデニングだ。
このマンションを買ったのも3階建てで16世帯と小じんまりしていることに加え、
Zが購入した1階の部屋の占有の庭が非常に広いことが最大の決め手になった。
ショールームを見ていち早く契約、その時に出した条件が、
庭には何も植えず、土も入れずに引き渡してくれることだった。
内覧会が終わると同時に懇意にしているガーデニング・ショップに入って貰い、
堆肥を梳き込むなど土作りから始め、満足の行く庭になる迄には4年の月日が掛かった。
約60平米の庭のいい所はあまり日差しが強くないこと。
半日陰の部分が半分くらいあり、Zが目指したイングリッシュ・ガーデンに打ってつけだったのだ。
目指せ「イリスの庭」……どれだけページを捲ったことだろう……。
常緑の樹は小豆島からわざわざ取り寄せた大きなオリーブ1本のみ。
後は全て落葉樹を植え、根元にはクリスマスローズやギボウシを植えた。
芝生はダサいと思うZは、代わりにクリーピング・タイムの種を播き、
歩くと匂いが立ち上るようにした。飼っている猫の肉球がタイムの匂いがする(笑)
テラスを作り、小さいけれどお気に入りの椅子とテーブルを置き、
休みの日には読書をしたり軽いブランチを摂ったり……。
ささやかな喜び、だけれどZにはなくてはならない命の薬なのだ。

丁度、正面の陽当たりのいい場所には大好きな薔薇とクレマチスが植えてある。
薔薇は本当にいい……数えたことはないけれど、イングリッシュ・ローズや
オールド・ローズを中心に、約50本ほど植えてある。
大きく伸ばした「Toby Tristam」と「Constance Spry」……。
その木陰で転寝をする贅沢……Zは薔薇は春に一度だけ咲けばいいと思っている。
だから葉の美しさも薔薇を選ぶ重要なポイントになっている。
ここに座って木漏れ日を浴びていると
嫌な客、面倒を起こす客のことなど少しも思い出さないほどだ。

 「あっちでお食べ……。」

今朝もこれからやって来る恋人のことを考えていたら目障りなものを見つけたのだった。
丹精込めた薔薇の葉を食べる憎っくき芋虫。全てに完璧を求めるZにとって病虫害はもっての他、
染み一つない花や葉でなければならない……。
完璧でありたいけれど、手で取ったり踏み潰したり、
自分の手を汚すのはチョッと御免被りたい……なるべく綺麗綺麗に生きたいではないか。
虫は密かに処分するもの。だって、大切な恋人といる時に見付けて
目の前で悲鳴でもあげたら一大事、イメージが壊れてしまうもの……。

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皆さまへ。
そろそろ春の薔薇もお仕舞に近付きつつあります。
今年は日照不足で花保ちが良かった反面、ウドン粉病や黒点病がヒドかったです。
その割に虫が全くいない……チョッと恐いくらいに虫を見かけません。

 「あっちでお食べ!」

この台詞は僕が懇意にしているバーのマスターの台詞。
矢張りガーデニングが大好きなマスターの名台詞(笑)後は僕の創作です。
ウチの場合は隣がありませんから、この台詞を聞いて以降、僕は

 「あっちへお行き!」

と、マスターの口調を真似して下の道路に放り投げることにしています(笑)
無駄な殺生はなるべくしたくないけれど、芋虫くん、薔薇を齧っちゃいけないよ!ってなもんです(笑)


2008年5月22日


ブノワ。


[Toby Tristam (R) Mrs. Targett, 1970]
[Constance Spry (ER) Austin, 1961]
[三國連太郎/Rentaro Mikuni (1923~ )]

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by raindropsonroses | 2008-05-22 00:00 | 向き向きの花束。