匂いのいい花束。ANNEXE。

愛情は深い海のごとく。

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今日、7月5日は母の命日、丸2年が経ちました。
今夜は母をよく知り、また、母が非常に可愛がっていた友人と二人で軽く一杯やって来ました。
母が住んだ街の小さな焼鳥屋、晩年の母と僕がよく二人で飲んだ店……。
僕は特別、何回忌だとか供養とかはしません。
その辺の日本の習慣やしきたりには疎いし(母の影響・笑)
日々、ことある毎に亡くなった母のことを思い、
いつまでも自分の中に生かすこと、常に母と一緒にいることが、
言葉にするとしたら、世間で言う「供養」になると思うのです。

誰にも知らせずに、父と件の大親友の3人で母を見送りましたが、
その後の父の元には、どこから聞いたか、引きも切らさず、
昔の同僚や友人達が駆けつけて手を合わせて行ったそうです。
テーブルの上には母の遺骨と僕が大事にしていた母の昔の写真……。
大事な人を送る……僕はそれでいいと思うのです。
義理ではなく、本当に気持ちのある人だけが見守ってくれていれば……。

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梅雨、真っ只中、今年は梅雨らしい梅雨……。

今日のランチに写真のようなトーストと梅酒を戴きました。
両方とも一昨年に亡くなった母に縁の品、
梅酒は母が亡くなる前の年の5月に紀州の梅で漬けた梅酒の古酒。
このグラス1杯が最後になりました。はじめこそ普通にグビリグビリ飲んでいましたが、
最後の方はチビリチビリ……いざなくなると淋しいですね。

トーストは焼いたパンにバターをタップリ塗り、
千切りのキャベツと炒り卵をマヨネーズで和え胡椒を少々……それを山盛りに!
何もここに写真を添付する程のものでもないし、料理とも言えない一品です。
普通はランチには珈琲とか紅茶なんでしょうが、
母の命日、一人で母に縁のある品で母を偲びました。

小さい頃の僕は大の野菜嫌いだったそうです(笑)
何でも、らっきょともやしは山盛りに食べたらしいのですが、
あとは全く野菜を口にしない子供だったらしいです。
あれこれ手を尽くしても野菜を食べない息子に母が考えたのが、
大好きな卵とマヨネーズを利用して、先ず、手始めにキャベツを食べさせると言う作戦。
驚くことに、母の作戦はまんまと当り、このトーストをモリモリと食べたらしいです。
みるみる内にトーストの上に山盛りになるキャベツ(笑)
それ以降、それ迄の野菜嫌いは何処へやら、
今では嫌いな野菜がないくらいに野菜好きの僕が出来上がった訳です。

僕の母はどちらかと言うと料理が下手でした(笑)
前にお話ししましたけれど、母は学校を中退して隣町に働きに出されてからズゥ〜っと、
亡くなる少し前まで働きずくめでした。確かに料理なんかする暇はないし、
まして、料理を習う気力も時間もなかったのでしょう。
けれど、インスタント食品は食べた覚えがありません。
簡単でも必ず何かしら手を加えていたような記憶があります。
小学校の給食が終わるとお弁当も必ず作ってくれました。
子供心に、蓋を開けると「茶色い」お弁当がイヤでイヤで(笑)
今、自分で趣味のお弁当を作る身になってみると、
朝早くから働き通しだった母の大変さがよく分かります。

口には出しませんでしたが、30歳を過ぎるまで
極度のアトビー性皮膚炎だった僕に対して、
母は心の底で大きな引け目、罪悪感を持っていたようです。
まるで遺伝でアトピーになったかのように思い悩んでいたようです。
特に子供の頃はそう、子供は自分で体調をコントロール出来ないですもんね。
その頃はアトピーなんて言う言葉はありませんでした……そう、湿疹ね。
母は忙しい中、食事の面や薬の面など、僕の身体に善かれと思うことをあれこれ工夫してくれました。
アトピーはヒョンなことでスッパリ治ってしまったのですが(何れ記事にします)
その間の母の心労は並大抵のことではなかったと察します。
完治した時の母の嬉しそうな顔、今でもハッキリ覚えています。

ウチは決して食うに困るような貧乏ではなかったけれど、
母は晩年まで遊び人の父で苦労したように、決して自由に使えるお金があるハズもなく、
母の少ない収入の中から家計をやり繰りしていたようです。
小学生の頃、子供心にどうしても食べてみたかった不二家のショートケーキ、
それもワン・ホール(笑)勿論、クリスマスですけどね。
母が買って来てくれたのは不二家のケーキではなくて家の近くのケーキ屋のもの。
僕が食べたかったのはスポンジとスポンジの間に苺が挟まっているものだったんです。
しかも、その苺はスライスしてある苺ではなく、
苺が丸々一つ、グルリとスポンジの回りを一周して
生クリームがタップリ挟まっているタイプ、しかも苺は縦位置で整列(笑)
母が買って来てくれたケーキのスポンジの間には苺ではなくて黄桃が挟んでありました。
まだ子供だった僕はガッカリし(実はそのケーキ、不二家のケーキよりも高価だった……。)
母に不平を漏らしたのでしょう、母は淋しそうな顔をしていましたっけ……。

ありましたよね、ニュース番組に「最後の晩餐」って。
人生の最後に食べるとしたら何を食べたいかって言うコーナーが。
僕は矢張り、母が作った何か一品、ご大層な料理じゃないけれど、
きんぴらごぼうとか切り干し大根とか……何か素朴なものが食べてみたいです。
僕の絶品餃子の原点である母の餃子もいいかもしれせん。

往年の映画でヴィヴィアン・リーの晩年の作品で
「愛情は深い海のごとく」と言う映画がありました……。
母親の子供に対する愛情、まさに、海よりも深いのでしょうね……。

母は僕に何も望まない人でした。どこそこの大学に入れとか、政治家になれとか(笑)
ただ、曲がったことはせず、正直に生きることだけを望んでいたように思います。
母が生きている間に親孝行のような事は何もしてあげられなかったし、
仕事の面でも何かを成し遂げた訳ではないので、
そう言う意味で母を喜ばせることは出来ませんでした。
もう少しだけ長生きしてくれていれば、もしかしたら何か形になったものを、
母が僕を誇りに思うものを見せてあげることが出来たかもしれないのに……。
そのことだけが心残りです。

僕の動物、植物好きは母譲りです。
その母にはとうとう薔薇の花束をプレゼントする事はありませんでした。
ただ、荼毘に付す棺の中に、7月の暑さの中グンッ!と伸びた、
「Sophia Loren」のシュートの先に咲いたそれはそれは見事な花一輪、
根元からバッサリと切って約1メートル余り、母の足元から胸元にかけて飾ってあげました。
母から教えて貰ったソフィア・ローレンに因む薔薇、母に相応しい薔薇です。


草々

2008年7月5日


ブノワ。


[Sophia Loren Official Website/Sophia Loren (1934~ )]
[Sophia Loren (HT) Tantau, 1967]
[Vivien Leigh (1913~1967)]
[Deep Blue Sea/愛情は深い海のごとく (1955)]

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by raindropsonroses | 2008-07-05 00:00 | 向き向きの花束。