匂いのいい花束。ANNEXE。

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♪雨、雨、降れ降れもぉっと降れぇ……雨乞香。

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拝啓

早いもので今年も9月になってしまいました。
朝夕、随分と涼しい日が続くようになりましたが、
Fさま、その後いかがお過ごしでいらっしゃいますか。
先日はわざわざお便りをありがとうございました。
無理を承知でお願い致しましたのに、快く引き受けて下さり
恐縮している次第です。お父さまにも宜しくお伝え下さいね。

実は先日、詳しくはお話ししませんでしたが、
お願いしました香道の火道具は僕が自分で使う物なんですよ。
ご存知の通り、今年から月に一度、先生に付いて香道を習っています。
とても親切で上品な先生、仲間にも恵まれて楽しい稽古を続けています。
今から2ヶ月ほど前になりますか、若い男性のお弟子さんが入りまして
この人がなかなかの切れ者、日本の文学などに造詣が深く
しかも稽古熱心と来ています。ご存知の通り、香道は匂いを聴き分けるだけではなく
所作の美しさを追求し、季節、季節を愛で、和歌や短歌に親しむ物でもあります。
その辺りの言葉の遊びや風情、日頃忘れかけている日本の文化の素晴しさに
触れるのも楽しみの一つになっています。

先日のお稽古、先生が用意して下さったのが「雨乞香」です。
いつもは和歌か俳句を一首(句)用意し、その中からキーワードを香木の数だけ選びます。
今回、初めてだったのは、先生が3つの歌(句)を用意して下さった事。

先ず、小野小町が神泉苑で詠んだとされる歌。
  「ことはりや 日のもとならば てりもせめ さりとてはまた」

次に、能因法師が伊予の国守、藤原範国の求めで詠んだ、
  「天の川 なはしろ水にせきくだせ 天降ります神ならば神」(金葉和歌集)

最後は、其角が能因法師の歌を模して詠んだとされる
  「夕立や 田を見めぐりの 神ならば」(五元集)

この其角の歌が詠まれた元禄六年は非常な旱魃で、凶作に困った農民達が 
三囲いの神社に集まって鉦や太鼓を打ち鳴らし雨乞いする中、
そこに俳人として有名な其角が通り掛かり能因法師を模して詠んだ物。
その翌日には見事雨が降ったと言い伝えられています。

この3つの雨乞いの歌から先生がお選びになった言葉は……。
「小町」「能因」「雨」。

「小町」には伽羅の香木を、「虹」と言う名前が与えられます。
「能因」には羅国の香木を、「雲の峰」と言う名前が与えられ、
「雨」には真那伽の香木を、「軒の雫」と言う名前が与えられています。
試み香で「小町」と「能因」を各一回ずつ聴き、
本香では「小町」と「能因」が一回ずつ、「雨」が2回廻って来ます。
試み香で聴いた「小町」と「能因」は同じ物が出て来れば分かりますね。
試み香で聴かなかった匂いが2回出て来ます。これが「雨」と言う事になります。

勿論、僕は全部分かりました。これを「皆・かい」と言います。
何だか最近スッカリ余裕が出て来ちゃって鼻息が妙に荒いんですが(笑)
熱心な弟弟子は今回もシオシオのパー(笑)きっと、先生に頼んで取り寄せた
火道具や銀葉に夢中で心ここにあらずだったんでしょう(笑)
僕、実は見てしまったんですが、先生から火道具を渡された弟弟子、
暫しウットリと眺めていたんですが、やおら銀葉の匂いを嗅いだり、
火道具を胸に抱き締めて溜め息付いたり……余程嬉しかったのでしょうね。
可愛いって言えば可愛いけど、僕と仲間のTさんは一言「異常ね!」でお仕舞い(笑)
そんな訳で、僕も自分の道具が欲しくなってしまったと言う訳です。
ほら、見栄っ張りの僕の事、弟弟子よりもいい物が欲しいじゃありませんか。

Fさんの専門ではないけれど、お父さまが茶道や香道に造詣が深いと伺い
先日、店までお邪魔したと言う訳です。時間は特別急ぎませんし
全部揃っていなくても、そこは新しい物で補充するとかしますので
一つ、心の隅にでも置いておいて戴けると有難いです。

今日、同封しました写真は、数年前の冬に訪れたパリで撮りました。
当時の僕は、友人に「雨男」と言われるほど行く先々で雨……。
この頃も、パリに着いて一番最初に買うのは雨傘と決まっていました(笑)
雨の中、毛皮を着て壊れた雨傘のマダム……手にはビニール袋。
そんなアンバランスが面白いと思っていた初心な頃の一枚です。

いい出物がありますように、近々、お店の方に伺う積りでおります。
季節の変わり目です、体調管理は万全になさって下さいね。
お父さまに宜しくお伝え下さい。お元気で!


敬具

2006年9月9日


ブノワ。


[Onono Komachi/小野小町 (804頃~901頃)]
[Takarai Kikaku/宝井其角 (1661~1707)]
[Nouin/能因 (988~1058頃)]
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by raindropsonroses | 2006-09-09 00:00 | Raindrops on roses。

幕引きは鮮やかに……ぼくを葬る。

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拝啓

Kuroちゃん、ご無沙汰しております。その後、如何お過ごしですか。
そちらでまた新しく商売を始めたとか……風の便りで聞きました。
今度はどんな店なんでしょう。前の店と雰囲気は一緒でしょうか。
相変わらずの映画三昧、お客さんも俳優や作家が多いのでしょうねぇ。

さて、Kuroちゃんはとっくに観たと思いますが、
先日のこと、友人と一緒にようやく「ぼくを葬る」を観て来ました。
飯田橋のギンレイ・ホールで「ブロークバック・マウンテン」との二本立てです。
この「ぼくを葬る」は忙しくしていてスッカリ観そびれた作品です。
監督のフランソワ・オゾンは最近注目の若手で、Kuroちゃんも観たと思いますが、
「スイミング・プール」とか「まぼろし」とか「クリミナル・ラバー」など。
今、乗りに乗っているフランスの若手監督ですね。

僕が非常に驚くのは、オゾンと言う監督、非常に大人だということ。
大人と言うのはおかしいかもしれないけれど、老成しているって言うのでしょうか。
同じ世代のハリウッドの監督達に較べると雲泥の差です。
CGに頼り軽薄で次々とゴミのような作品を世の送り出している人達とは大違い。
そこは矢張り、成熟した文化のお国柄のなせるワザなのでしょう。
噂ではオゾンと言う人は同性愛だと言われています。かの昔のハリウッドで、
自分の真の姿を世の中にひた隠しにして生きるしかなかった巨匠達、
小さな子供の夢を破るからと、現在でもまるで何もなかったかのように
一連の事実をひた隠しに隠されている歴史上の大監督、
イタリアの巨星で、誰にも決して真似の出来ない貴族趣味の大監督……。
先人は、真実をつまびらかに出来ない時代と己との間で悩み、
その狭間にキラ星のように素晴しい芸術を数々生み出して来ました。
あっけらかんと性を謳歌するよりも、苦悩のどん底でもがき苦しみ、
コンプレックスの塊を跳ね返す反動からいい作品を生み出せたのでしょう。
映画に限らず、文学もまた然り、音楽も絵画もまた然り。
優れた芸術とはコンプレックスと苦悩の狭間で生まれる事が多いです。

最近ではそれらをおおっぴらに公表して生きられる時代になって来ました。
クローゼットから出て来ておおっぴらに自己主張出来る時代になって来た。
(併映の「ブロークバック・マウンテン」のラストでは、2人だけの秘密を
クローゼットの扉を閉める事で自分の胸にしまうイニスが描かれていました)
その分、今までのたがが外れたと言うか抑制が効かないと言うか……。
自分の性癖を、映画と言う大義名分を傘に着て好き放題映像化して
大失敗した例も数多くあります。スペインのある監督もそう、
自分の秘蔵っ子を使って大失敗……何事も程良い抑制が必要なのです。
抑制……オゾンの最大の美点はそこでしょう。
この「ぼくを葬る」も非常に抑制の利いた素晴しい作品に仕上がっていました。

ゲイのプロカメラマンのロマンは31歳と言う若さで余命3ヶ月を宣告される……。
仕事は順風満帆、今までは自分の才能と美しさを信じ、
疑う事無い未来が待っていたハズなのに……。
ここからロマンの人生最後のケジメの旅が始まります。
両親とのわだかまり、特別、小さい頃は大の仲良しだった姉との確執……。
家族の中では唯一心が通じている祖母との別れを告げる一夜の愛情。
余命3ヶ月と言う事で、人生最後の時期を迎えている祖母との距離はさらに縮まり
シニカルなジョークも言えるような関係がそこにはあります。
おそらく今生の別れの朝、祖母が手渡す薔薇のブーケは庭で祖母が丹精したもの。
そのブーケを受け取りながら、「葬式の花かい?」と軽口を叩くロマン。
なぜ死の事を私だけに話したのかと祖母に問われ、
「僕とあなたは似ているから……もうスグ死ぬ」と答えるロマン。
道中、軽い休憩を取ったカフェでの未来につながるエピソードは、
若干、唐突だけれど、死にゆく者が必死に未来に自分を残そうとする行為なのか。
人生の最期に正面から自分の真の姿を見詰め直し、
一つ一つ、問題と向き合って解決して行く主人公に惹かれます。
主人公、ロマンは時には素直に、時にはユーモアを交えて、
時には相手を突っ放すやり方で、それぞれと最期の別れをして行く。

オゾンの手法は、死に行くロマンと生命観溢れるものを常に対峙させます。
蒼白くやせ細ったロマンの身体と健康そうに日焼けした海岸の人々、
満開を誇るかのような祖母の庭の美しい薔薇と無精髭で背を丸めたロマン、
就職がやっと決まり意気揚々とする若さに溢れる元恋人と項垂れるロマン、
ロマンとの長年の不仲をようやく解消した姉が、喜びに溢れた顔で
乳飲み子をあやす晩秋の光と公園の片隅でそれを見守るロマン……等々。
極力抑えた台詞の代わりに映像で生と死を対比してみせる手法です。
一つ一つのシーンを、まるで自分の記憶力は頼りないからとでも言いたげに
ポケットに入れているカメラで撮影して確認して歩くロマン……。
主人公、ロマンを演ずるメルビル・プボーの圧倒的な演技力と儚さ、
映画の中の時間が進むに連れてやせ細る姿は絶食でもしたのでしょうか。
祖母を演ずる大女優ジャンヌ・モローは老いたとは言え抜群の存在感です。

現在、僕は健康そのもので何の心配もない身ですが、
ここ数年、人生半分まで生きて来てみてしみじみ思うのです。
この先、自分の最期をどのように幕引きするかを考えるようになりました。
現在の充実した体力と気力はどこまで持つのか。
また、20年後はどこで誰と暮らしているのか。親は?友人は?
日頃のそんな思いが鑑賞中に脳裏を駆け巡り、
主人公が何やら非常に自分に近しい存在に思えて来る。
Kuroちゃんなら僕の言いたい事を分かってくれますよね?

夏の終わりの海岸で三々五々、人々は家路につきます。
一日の輝きを終え水平線に沈み行く太陽と
静かに、そして大いなる満足感の中で命の炎が消え行くロマン……。
全ては想像通りの成り行きと幕の引き方、フェイド・アウトなのだけれど、
そこには観終わった後の静かな余韻と、言葉なき満足感がありました。

祖母が庭で摘んでロマンに託した薔薇の小さなブーケ。
ピンクと深いローズ・レッドの数輪の満開の薔薇の花は、
品種は分かりませんがクレジットではメイヤン社の薔薇となっていました。
今日の写真は、同じくメイヤン社の「Auguste Renoir」を。
瑞々しかった薔薇がロマンの部屋で朽ち落ちて行くさまは
定石だけれど消え行くロマンの命の輝きになぞらえられています。
でも、決してそれがイヤミでも下手クソな例えでもなく、
全て落ち着くべき所に落ち着く心地よさ、ホッと安心する一瞬なのでした。

もっと早くこの映画を観ておけば良かった……ちょっぴり後悔しています。
Kuroちゃん、是非、あなたの感想を聞いてみたいです。
きっと感激して興奮する様が目に浮かぶようです(笑)


敬具

2006年9月7日


ブノワ。


[Le Tamps qui reste/ぼくを葬る (2005)]
[Francois Ozon (1967~ )]
[Melvil Poupaud (1973~ )]
[Jeanne Moreau (1928~ )]
[Les Amants Climinels/クリミナル・ラバース (1999)]
[Swimming Pool/スイミング・プール (2003)]
[Sous le Sable/まぼろし (2000)]

[Auguste Renoir (HT) Meilland, 1995]
[Meilland Richardier Meilland International]
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by raindropsonroses | 2006-09-07 00:00 | 映画館へ行こう。